問い掛けのキャンディ

 しばらく前のことですが、友人の誕生日のお祝いとして、実在するダイヤモンドと同じカットが施された飴を一粒贈りました。

 プレゼント選びって本当に難しい!食品は好き嫌いや体質による相性があるし、使うものや身に付けるものには趣味がある。悩みぬいた末に今年はその飴に決定しました。見た目も箱もきれいで部屋に飾れるようになっていて、基本的に只の砂糖だから処分も手を煩わせず楽々。そのまま食べるも良し、紅茶に入れてじっくり溶かすも良し、肉じゃがの味付けに使うも良し、蟻の巣の栓にするも良しです。いや、やっぱり最後のは余りよろしくないな。

 この品、実在する有名なダイヤモンドと同じカットという点が気に入りました。巨大なカラット数のダイヤモンド飴、本物のように見立てて接することもできれば、ただの砂糖の塊と見るのもありで、遊び方様々。彼女ならこの飴どうするのかな?という好奇心が今回の決め手になったのです。


 ある程度の制限を与えられた状況において自力で考え、行動する。その事に「ゲーム」を感じます。
 これは本人に伝えていないけれど、私が本当に贈りたかったのは飴ではなくて、体験というか「問い」だったりします。
 物が飴だから最終的には溶けて無くなるというゲームオーバーが来るはずだけど、それに至る経緯、エンディングの内容、それは一人ひとり違うのがオープンワールド的というか。何か普段と違う、非日常を楽しんでもらえたら嬉しいです。

 以前、ある方が「誰かのことを本当に好きならば、その人のことをもっと知りたくなるはず」といった旨のことを仰っていましたが、私はこれに同感です。

テレビゲームをする文化を持つ友人たちへ私が『タクティクスオウガ』を勧めたくなる理由の一つもそれです。どのようなユニット編成で戦うか?極限の選択を突き付けられた結果変化する登場人物達の運命は?きちんと整備された囲いでありつつ、選ぶことが多いゲームなのでプレイヤーそれぞれの個性が分かりやすく出る気がします。可能ならエンディングを迎えた瞬間の反応も見たい。そして、お互いのゲームプレイを振り返って、共通点や相違点を語り合うのが楽しい。同じ問を共有することで普段余り見ることができない一面を知ることができたら良いなーという欲求がそこにあったりします。もちろん、とても面白いゲームだから信者として布教して回っているというのが最大の理由ですけど。

 さて、今回の宝石飴は同メーカーからいくつかの種類が発売されていて、私が特に面白く感じたのは「ホープ・ダイヤモンド」カットのものです。持ち主がどんどん怪死を遂げたという「呪われた青いダイヤモンド」伝説のあれですが、実際はそれらのエピソードはやや誇張されているという話も。1600年代の記録で既に存在している石だから、所有者が変わっていくのは当然のことだし、既に故人となっている方がいるのもまた必然。その輝きに希望と絶望、どちらを感じますか?

 お手元には曰く付きなブルーダイヤモンドを模した飴と金槌。そしてそれらがどうなるかを私が見つめている。

 その状況が示すのは、私はあなたが大好きということかもしれないし、別にそうでもないかもしれない。

 なんてね。